【完全保存版】マカオ世界遺産30箇所最適観光ルート(3)

マカオ

マカオには30箇所の世界遺産があります。
1日かけて世界遺産30箇所すべてを歩いて回ってみました!
ルートもこの通りに回ると、スムーズにまわれると思います!

疲れていく顔と一緒にお楽しみください(笑)

ものすごく多いので、10箇所ずつに記事を分けています。

 

前の記事はこちら

【完全保存版】マカオ世界遺産30箇所最適観光ルート(1)
【完全保存版】マカオ世界遺産30箇所最適観光ルート(2)

 

参考にした本はこちら!

※記事中のカタカナ表記はことりっぷを参考にしています。

 

 

 

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【世界遺産21】友好ブロンズ像がある「耶穌會紀念廣場(イエズス会記念広場)」

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名称:耶穌會紀念廣場(イエソウウイゲイニングォンチョン)Company of Jesus Square
住所:聖ポール天主堂跡目の前の広場

ポルトガルと中国の友好を記念した記念碑が目印です。
池の中央の丘の上で、中国人女性がポルトガル人男性に蓮の花を渡しているシーンとのこと。

もともとは「大三巴石級」と呼ばれていたのを、1964年8月に「耶穌會紀念廣場」と改名されたそうです。

 

【世界遺産22】マカオといえば真っ先に連想するのがコレ!「大三巴牌坊(聖ポール天主堂跡)」

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興奮して数字が逆(笑)

名称:大三巴牌坊(ターイサーンバーバイフォン)Ruins of St. Paul’s
住所:耶穌會紀念廣場

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天主堂の正面(ファサード)のみ残っている教会跡です。
もう教会はなく、ハリボテ状態(笑)世界中から人が集まり、かなり混雑しています。

1594年〜1762年運営されていた聖ポール天主堂大学は、聖パウロに捧げられた学院で、アジア地区最初の西洋大学であり「ローマ以東でもっとも美しい教会」と讃えられていたそうです。
1835年に火災に遭い、学院及び教会は正面を残し、なくなってしまいました。
今は石畳のみが残っています。

有名な使徒たちの像が並び、日本で布教活動をしていたフランシスコザビエルもいるので、探してみてください。

日本からポルトガル王謁見のため派遣された天正遣欧少年使節団(伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノ)もここに長期滞在し、この時、使節団が日本(天草)に持ち帰った活版印刷機で印刷された書籍が天草で出版され人気だったそうです。

また、キリスト教追放令を受けた使徒(原マルティノ)は、長崎からマカオへ行き、司祭をしながら日本語の書籍を発行していたそうです。
原マルティノの遺骨は聖ポール天主堂の地下に殉教者たちと共に眠っているそうです。

遠藤周作の小説「沈黙」にも聖ポール天主堂のことが書かれているそうなので、今度読んでみようと思います^^

日本と関わりが深いスポットです。

 

 

【世界遺産23】疫病から市民を救った神童が祀られている「哪吒廟(ナーチャ廟)」

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名称:哪吒廟(ナーチャミュウ)Na Tcha Temple
時間:8:00 – 17:00
住所:大三巴斜巷6號(聖ポール天主堂跡 横)

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1888年に建てられ、1901年に再建された廟です。
近くに哪吒の伝説が紹介されていて面白かったです。

民間の伝説によると、哪吒は陳塘關総兵の李靖の三男で、母は3年間妊娠ののち産み落としたらしい。少年のころ、東海で水遊びをしていた時に東海龍王の息子を死なせてしまい、償いとして、肉体を母に、骨を父へ返します。そんな哪吒を太乙真人がかわいそうに思い蓮をつかって体を再生させたそうです。

神童といわれている哪吒(ナーチャ)は西遊記にも登場する武芸の達人となり、19世紀に流行した疫病が、哪吒のお告げにより鎮まったとして、市民から祀られるようになったそうです。

 

そういえば、封神演義にも出てくる、手足に風火輪をつけたキャラクター(ナタ神)です。

聖ポール天主堂の真横、石畳の中に急に現れる中華!

このギャップが面白い一角でした。

 

【世界遺産24】「舊城壁遺址(旧城壁)」

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名称:舊城壁遺址(ガウセンチョンワイジィ)Section of the Old Walls
住所:大三巴斜巷6號(ナーチャ廟 横)

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1569年ごろにポルトガル人が築いた城壁で、土やワラ、貝殻を木枠に流し込んで何層も繰り返し作る「シュウナンボー」という形式で作られました。

よく見ると貝殻がたくさんあるのがわかります!

 

 

【世界遺産25】22台の大砲が並ぶ「大砲台(モンテの砦)」

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名称:大砲台(ダーイパオトイ)Mante Fortress
時間:7:00 – 19:00(砦と庭園)、10:00 – 18:00(マカオ博物館:月曜祝日は休館)
住所:
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1617〜1626年にかけられてイエズス会の修道士たちによって築かれたマカオ最強の要塞。
大砲の他、軍事宿舎、兵器工場、食糧貯蔵庫など2年間の攻撃にも耐えられる施設が築かれていたそうです。聖パウロ砲台とも呼ばれているそうです。

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敷地内にマカオ博物館もあります。

丘の上にあり、軽く登山するので、だいぶ疲れました(笑)

 

【世界遺産26】マカオ最古の教会「聖安多尼教堂(聖アントニオ教会)」

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名称:聖安多尼教堂(センオーンドーネイガウトン)St. Anthony’s Church
時間:9:00 – 17:30
住所:花王堂前地

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1565年にキリスト教徒が最初の布教活動の拠点にしたマカオ3大古教会の一つ。
以前は木と竹で作られていたんですが、再建され現在の形になったそうです。
ポルトガル人の方々の結婚式でよく使われていたことから「花王堂(Church of Flowers)」と呼ばれているそうです。

 

 

【世界遺産27】市民の憩いの場「白鴿巢前地(カモンエス広場)」

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もう少し!と力を振り絞ってるところ。

名称:白鴿巢前地(パーカチャオチンディ)Camões Square

マカオ世界遺産のなかでもっとも北にある遺産カモンエス広場。
カモンエス広場の名前の由来は、ポルトガル人詩人「ルイス・カモンエス」。
軍人としてアジアを飛び回ったあと、マカオで士官をするために滞在。
代表作の長編叙事詩「ウズ・ルジアダス」はその頃インスピレーションをえたそうです。
詩の中の一節「ここに地果て、海始まる」は、マカオに住みながら、故郷のポルトガルを懐かしむ心情が書かれているそうですよ。

 

 

 

【世界遺産28】ポルトガル商人が建てたコロニアル形式の邸宅「東方基金會會址(カーザ庭園)」

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名称:東方基金會會址(トンフォンゲイカムウイウイチー)Casa Garden
時間:9:30 – 18:00(ギャラリーは土日祝日休み)
住所:白鴿巢公園側

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1770年に豪商マヌエル・ペレイラ(Manuel Perreira)によって建てられた別荘。
一時期は歴史の教科書でも出てくる「東インド会社」が借り上げていたこともあるそうです!
大きな噴水が真ん中にあり、大豪邸だったことがわかります。

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現在は、東方基金会財団の事務所になっています。
こんな可愛い門をくぐった中の建物です。

 

 

【世界遺産29】チャーチル英国元首相の祖先も眠る「基督教墳場(プロテスタント墓地)」

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犬がたくさんいて怖くて目が見開いてる(笑)

名称:基督教墳場(ケイトッカファンチョン)Protestant Cemetery
時間:8:30 – 17:30
住所:

1821年に作られたマカオ初のプロテスタント墓地で元東印度会社墓地だったそうです。
聖書を中国語へ翻訳したことで知られる宣教師ロバート・モリソン(Robert Morrison)、東インド会社の高官、イギリス人画家ジョージ・チナリー(George Chinnery)など、プロテスタントの方々が眠っています。

 

 

【世界遺産30】「東望洋砲台(ギア要塞)」

名称:東望洋砲台(トンモンヨンバーウトイ)Guia Fortress
時間:9:00 – 17:30(教会は撮影禁止、灯台内は非公開)
住所:

マカオで一番高い山の上にあり、東望洋砲台(ギア砲台)、聖母雪地殿聖堂(ギア教会)、東望洋燈塔(ギア灯台)が建てられています。

ギア教会は聖クレア修道院ができる前にギアの丘の上に住んでいたクラリスト修道女によって建てられた教会で、内部のフレスコ画が素晴らしく、西中折衷が感じられる施設とのこと。

この時は夕方になってきたので、いけませんでした!もっと早く出発すればよかった!
次回ここから始めようと思います!

 

 

 

 

 

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